英語学習における「動機づけ」
前回、前々回と紹介した2冊の本に、第二言語を学習するときに重要な鍵となる「動機づけ」について書かれている。
動機づけを研究する上で2種類に分類されている。
『道具的動機づけ』
- 学習者本人が何らかの実益を得ることを目的としている場合
- 必ずしも学習言語の話されている国の文化や歴史、人々などに関心があって言語を学習しているわけではない場合
『統合的動機づけ』
- 学習者は何らかの実益が得られることを主目的にしていない場合
- 言語を学習することで、その言語の背景にある様々な事象を理解し、彼らの考えや思想を積極的に受け入れたいと思う気持ちが強い場合
私は下の統合的動機づけに分類されるが、多くの日本人は上の道具的動機づけで英語を勉強しているように思う。それは、仕事でTOEICのスコアが必要だったり、昇進には英語力が求められたり、大人になる以前にも、学校の成績のため、受験のために勉強する必要があり、英語圏の国に興味があるわけではない。
大人になってからも仕事とは無関係で英語学習を継続する人たちは、下の統合的動機づけで、海外の文化や生活様式、芸能や文学など興味を持っているはずだ。
英語学習でこの動機づけがないと、成果を生まない。
当たり前のことだ。しかし動機づけがいくら高くても、それに伴う学習をしなければ、言語能力は伸びないのだ。
英語が好き、外国人が好き、将来留学がしたい、と言う小中高生の中には、目の前で英語を話している日本人が、そう努力をせず英語力を身につけたと感じるのか、口先ばかりで自ら進んで勉強をしようとしない。単語を覚えたり、文法を理解したり、基礎的な勉強となると嫌がる。聴いているだけで英語が話せるようになるのは夢の世界だ。
聴くだけで英語が話せるようになるには、パターン化した多くの文を聴いて、「ここにはあの単語を入れて別の文を作ってみよう」とか気づける能力のある人に向いている。ただそう多くはないだろう。それに単語もそこまで勉強していないに違いないから、他の文を作るということができるのかどうかも怪しいところだ。
英語教師のための第二言語習得論入門には、動機づけが学習行動に結びつかない理由として、
どうやって効果的な学習行動に結びつけたらいいのか、そのやり方がわからないのだと思います。
とあった。動機づけが低い生徒や学生は受け身のままでいいと思うが、動機づけが高いのに受け身でいるのは残念だ。自分に合う効果的な学習法はなんなのか、自分で模索していくしかない。先生が与えた学習法が自分に向いているとは限らない。古臭いものかもしれないし。
また動機づけの高い中高生の士気を下げるものとして、学校の定期試験がある。公立中学校の英語の定期試験の内容(採点方式も)といえばクソである。本物の英語力とは無関係なテストの点数が低いと、中高生は英語が嫌いになり英語なんてなくてもいいものと思う。(定期試験に関してはまたいつか書く。)
もうひとつ士気を下げるものとしては、親の干渉。親の時代の勉強法を子供に押し付けると、子供は嫌になる。学力の高かった親にも多く見られるが、学力がそう高くない親にもいて、前者の親は子供にプレッシャーがかかるし、後者は親自身が勉強の仕方をよくわかっていないので子供の学習の障害になったりする。(英語学習以外にも当てはまると思うが。)
教師(指導者)は動機づけの引き出し方、複数の学習方法の提案をし、学習者は受け身でなく自発的に行動に移せば、英語学習は成果を上げ、英語力が伸びるはずである。